読売新聞ニュース, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=45051 / CC BY SA 3.0
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読売新聞ニュース
『読売新聞ニュース』(よみうりしんぶんニュース)(シリーズ)は、読売新聞が提供するニュース。またはそれを主体とした放送番組のこと。
もともとは、3社ニュースの一角。日本テレビ開局直後の1953年8月31日にスタート。初期はニュース映画。当初は『讀賣テレビニュース』という表題だった。
2000年9月まで毎日午後と深夜の各10分ずつ、日本テレビと関東地方の独立局 (夕刊のみ。いわゆる5社ニュースの枠)などで放送され、さらに2002年3月から2008年3月までは日テレジータスでも放送されていたニュース番組。読売映像(旧:読売映画社。後に読売スタジオと統合)制作協力。
1955年4月、ラジオ東京テレビ(現:TBSテレビ)の開局で同局からも放送されるようになった。日本テレビが放送したものは読売映画社の制作によるニュース映画であったが、ラジオ東京では当初自社制作のスタジオニュースで、読売新聞記者がニュースを読み番組を進行する傍ら、解説を務めていた。
1958年8月、読売テレビの開局に伴い『よみうりニュース』の放送を開始(『NTVニュース』のタイトルを差し替えて放送。この他別途『讀賣テレビニュース』も放送)。その後、読売テレビ向けと同様に日本テレビの『NTVニュース』を、「読売新聞社協力」のクレジットを付けて全国に放送した。
1962年4月、名古屋放送(現:名古屋テレビ(メ〜テレ))では、開局と同時に日本テレビの『あさ7時のニュース』を『讀賣新聞あさ7時のニュース』にタイトル変更して同時ネット。名古屋テレビは1973年春に日本テレビ系列を離脱することとなるが、先述のタイトルでいつまで放送されていたかは不明(当時、名古屋では読売新聞は発行しておらず、中部読売新聞(現:読売新聞中部支社)は1975年に創刊された)。
新聞と在京テレビ局の資本再編に伴い、1974年3月いっぱいでTBSテレビでの放送が打ち切られると、これまでの日本テレビ・TBSテレビ各2日おきの放送から、日本テレビでの連日放送となり、放送時間も半年後の1974年10月からは夕方5時50分 – 6時00分から夕方5時00分 – 5時10分に移行した。さらにその後、1982年から夕方3時50分 – 4時00分の10分間に放送時間を移した(土曜日は従来どおり夕方5時00分スタート)。なお、夕刊のニュースはこれ以後原則として夕刊が配達される地域を中心に放送されるようになった(山陰中央テレビジョン放送→日本海テレビジョン放送などのように、夕刊の無い地域での放送も一部あり)。
日本テレビでの連日放送体制以降、読売新聞東京本社内に日本テレビのスタジオが設けられ、1977年4月4日放送分よりそのスタジオから放送されるようになった。基本的には読売新聞の紙面をバックに、紙面記事からキャスターの解説を加えてニュースを伝えるという体裁だったが、1996年のタイトル改題以後はVTRも使われた。エンディングには必ずキャスター席にある東京本社の代表電話番号のパネル(後期はテロップ)を表示し、サイドに縦書きで「読売新聞社テレビスタジオ」という字幕を出していた。
また、その後テレビ神奈川・千葉テレビ・テレビ埼玉・テレビ和歌山でも、5社ニュース枠の5時50分 – 6時00分の枠で時差放送(週1回程度、主に火曜日だが、テレビ和歌山は平日の毎日放送。同じ内容を局を変えての実質再放送。千葉テレビでは放送後「5社ニュース」ローテーションが字幕表示されていた)された。
番組のスポンサーとして、日本テレビでの連日放送体制に移行してからは午後枠に限り、東京電力の一社提供となった。ネットを受けていた局のうち、静岡第一テレビも1979年7月の開局に伴うネット開始以降、同じく午後枠は東京電力の一社提供枠として続いた。
一方、大阪・読売テレビでは、1982年4月3日から2000年9月29日の終了まで、夕刊の時間帯は大阪本社独自の企画ネットとしての『読売新聞ニュース』が放送されることになった(後期は5分に縮小)。
これとは別に、読売新聞ニュースの姉妹番組が相次いで登場した。1978年に『読売新聞あすの朝刊』がスタート。さらに放送開始時期は不明だが、新聞休刊日の午前中(主に10時30…
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